伊勢志摩の旅

 

伊勢河崎を訪ねて

江戸時代から問屋街として発展した伊勢河崎は、「伊勢の台所」とも呼ばれ、伊勢神宮への参拝客をもてなしてきた古い街並みが残るところです。
室町時代中ごろに、川のほとりの葦原を埋め立てて作られた伊勢の河崎。川に沿って石段の残る昔ながらの商家や蔵が、当時の姿を今に残しています。

以下は、「河崎かわら版」第192号 平成28年5月25日発行 6月号 の記事です

「江戸時代の伊勢と河崎一」
平成を生きる人から見ると、伊勢は伊勢市であるが、江戸時代には北は桑名から伊勢までの大きな地域を伊勢の国と呼んでいた。
伊勢は昭和30年までは、外宮がある山田と内宮がある宇治と、周辺の町村が合併して伊勢市となり、近鉄の宇治山田駅駅は、伝統的な地名である宇治山田市見られる駅である。
河崎も江戸時代までは山田の隣接した、蔵が瀬田川沿いに立ち並ぶ問屋の町であった。
伊勢神宮を訪れた参宮の方々の食を中心とした物資を各地から船で運び、荷車や大八車で宇治や山田の町まで運ばれた。 一部抜粋


平成28年6月18日 小林幸一

伊勢の和婚式

平成26年5月24日孝規・紗希(オーストラリア在住)の和婚式 おめでとう

◇二見興玉神社◇ にて挙式

垂仁天皇の御代皇女倭姫命 天照皇大神の神霊を奉戴して此の二見浦に御船を停め神縁深き猿田彦大神出現の神跡である海上の興玉神石を敬拝し給う 
即ち夫婦岩に注連縄を張り拝所を設けたが其后天平年間僧行基興玉神社を創建す
 明治に至り宇迦御魂大神を合祀して二見興玉神社と称する
 古来日の出の名所としてまた伊勢参宮の禊所として有名である
〜境内の看板より〜

二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社である

境内の磯合にある夫婦岩でよく知られおり

旧社格は村社で、現在は神社本庁が定めた、神社本庁が包括している神社である

夫婦岩の沖合約700mの海中に沈む、祭神・ 猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社

伊勢神宮(内宮)参拝

     
     
皇室の祖先神で日本人の総氏神である、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祭神とし、神体は三種の神器の一つ八咫鏡。
五十鈴川のほとり、神路山のふもと、うっそうと茂る樹林につつまれ、参道には玉砂利が敷きつめられている。
20年に1度の式年遷宮は1,300年間続いている。


伊勢神宮(外宮)

JR伊勢市駅   豊受大神宮 新正宮

ご無沙汰の伊勢神宮へ、昨年遷宮が行われたため、相当の人出と覚悟して、まず外宮に参拝したが、想像を超える混雑、内宮行きのバスの乗車券売り場も長蛇の列、ここに並ぶ事を諦め、次回の楽しみとする事にした。

せんぐう館 式年遷宮の資料館には、遷宮際の模様などが展示されて神宮や新道を知ることができる。

 

  平成26年1月3日  

坂手島と日和山

日和山と展望広場からの鳥羽湾
日和山と言えば過去には鳥羽の展望台として多くの人々で大変な賑わいであったが、今はひっそりと。
下の2枚の道案内ユニークですね 平成25年6月2日、お天気も曇りで視界は不良。

 

坂手島
鳥羽 佐田浜港から10分7の近く、市街の対岸
に浮かぶ坂手島。初夏には アヤメ池にカキツバタが咲き誇る と聞き 出かけた。
坂手 定期船乗り場から 住宅地をぬけ、しばらく山手に向かい 途中若宮神社に参拝、あやめ池の旗をたよりに15分程度山道を登る感じです。カキツバタの期待は、時期が早いのか、遅いのか? 写真の通りです。

鳥羽(平成24年11月4日)


子供家族と宿泊した 安楽島のホテルより

的矢湾と伊勢神宮<外宮>

 
平成20年8月10日
 
的矢湾と大橋
  

岩井鋼材 志摩 浜島(伊勢海老の町)と伊勢神宮<内宮>へ

浜島
平成18年10月29日

宇治橋
おはらい町