軽井沢と兼六園
新大阪8時3分発 のぞみ214号に乗車 東京着10時33分 東北新幹線へ乗り換え 11時04分 あさま607号に 軽井沢12時17分定刻着
昼食のため ホテル鹿島ノ森へ そこから「石の協会・内村鑑三記念館へ ところがあいにく、今日は 結婚式が行われており、中に入ること出来ず外からの見学だけになり
雲場池へ 澄みきった水をたたえ水鳥ものんびりと、池を1周、秋の紅葉時にはもっと映えるのではと考えながら。旧軽井沢銀座商店街へ 散策の後
今日の宿 「ザ・プリンス軽井沢」へ、浅間山が遠くに見える部屋へ。
石の教会内村鑑三記念堂 | 雲場池 | 平成28年7月3日 |
旧軽銀座で親しまれる旧軽井沢銀座通り(旧軽メインストリート) | ||
浅間山
金沢 兼六園
7月四日 金沢を目指し、9時軽井沢を はくたか565号に乗車 11時52分着、老舗のお寿司屋「金澤玉壽司」で日本海の新鮮素材を堪能。
兼六園へ。
根上松(ねあがりまつ) | ||
ことじ燈籠 霞ヶ池(かすみがいけ) |
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兼六園は前田利家公が作ったものと思われがちですが、実際に兼六園の発祥となったのは5代藩主、綱紀公の時代で、綱紀公が造った「蓮池庭」が今日の名園の基礎となりました。利家公の時代はまだ金沢城につながる外庭といった状態だったようです | 歴代藩主が抱いた繁栄の願いを投影
何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきた兼六園ですが、作庭における基本的な思想は一貫していたようです。その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配します。藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。最初の作庭者、5代藩主・綱紀(つなのり)は、瓢池に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)の三神仙島を築きました。また、13代藩主・斉泰(なりやす)も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています |
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帰りは、金沢15時30分発「サンダーバード34号」で新大阪へ無事着となりました。