1400年の道:竹内街道物語 大阪・太子町にぎわいづくり協 灯ろう祭りで活性化 /奈良

毎日新聞 2013年01月09日 地方版 より

 ◇整備1400年記念し時代行列検討中

 飛鳥時代の天皇や貴族が葬られたとされる多くの古墳が集まる大阪府太子町。ほぼ中央を竹内街道が横断する。
歴史文化に恵まれた風情のある町並みが広がる一方、高齢化に伴い空き家も目立つように。
地域を活性化しようと、地元住民は「竹内街道にぎわいづくり協議会」を発足し、約2000個の灯ろうを並べる「竹内街道灯路祭り」を、毎年開催している。

 協議会は、地元の町会長ら住民約30人でつくる。地域の高齢化や世代交代、開発により、
昔ながらの町並みの風景が変わりつつあることや、住民同士のつながりの希薄化を懸念して、09年に設立した。

 「竹内街道灯路祭り」は毎年10月に開催する。地元の建具職人が、間伐材を使って作るなどした灯ろう約2000個を、竹内街道の約2キロにわたって並べる。
ゆったりとした幻想的な雰囲気を、昨年は約5000人が楽しんだ。
その他、古民家の軒下での工芸品や特産品などの展示・販売や、寺社仏閣でのコンサート、「観光ボランティア太子街人の会」による竹内街道についての講演などもあった。

 5回目となる今年も、10月に開催予定。竹内街道の整備から1400年を記念し、飛鳥時代の装束を身につけた時代行列などのイベントを検討している。

 協議会の会長は、春日地区長の松井史郎さん(68)。葛城市で生まれ育ち、約40年前に太子町に移った。中学時代は陸上部に所属し、竹内街道で走り込みをした。
「(葛城市と太子町を結ぶ)竹内峠は、奈良の人にとっては夕日が沈む場所だが、大阪の人には朝日が昇る場所。峠を越えるだけで発想が逆になるのが面白かった」と当時を振り返る。

 昨年の灯路祭りは、初めて会長としてかかわった。「地元の若者からお年寄りまでが、盛り上げようと手伝ってくれた」と感謝する。
保育園の園長でもある松井さん。「美しいふるさとの風景が子供たちの心に残ることを願っている」と話していた。【岡奈津希】

   

上は寄り道 太子温泉

左 道の駅近つ飛鳥の里太子

右 万葉の森 二上山 登山口

 

ここから、いわゆる竹内峠にかかります、大阪府はここまで、奈良県葛城市当麻 現166号線のそばに旧街道 竹内街道が東に向かっています。

   

当麻寺に寄り道です。

竹内交差点に戻り、

街道の最終地点 長尾神社に向かいます。

 

 

   

当麻寺周辺

二上山の東、当麻寺の周辺を散歩してみました。

道の駅 ふたかみ から二上山 
当麻寺 東塔

 竹内街道は堺市の大小路から松原市、羽曳野市を経て、太子町、竹内峠を越えて奈良県當麻町の長尾神社までといわれています。

その起源は古く、日本書紀に推古天皇21年「難波より京に至る大道を置く」とあり、この大道は「丹比道」(たじひみち)とも呼ばれた。

最古の官道といわれる竹内街道はこの「大道」とほぼ同じルートを通 っている。

大道のルートはすでに消滅し、古代には遣隋使、遣唐使が通過した外交のルートとして、太子信仰の道として、

また中世には、自治都市、堺と大和をつなぐ経済の道としてその時代時代に大きな役割を果たした。

現在では国道166号となり奈良と大阪を結ぶ重要な道です。街道はよく整備され中世の町並みが残る雰囲気のある街道です。

以下は総延長26キロの内二上山の西麓、現在の太子町にある六枚橋交差点(太子町役場付近)

− (旧街道) − 竹内街道歴史資料館 − 風鼻橋東詰交差点(道の駅近つ飛鳥の里太子付近) の町並みです。