高野山

高野山は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。
平安時代の弘仁7年に嵯峨天皇から空海が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。

高野山 奥の院
     
     
  大塔(だいとう) 蓮池(はすいけ)

大塔(だいとう)  お大師さま、真然大徳(しんぜんだいとく)と二代を費やして816年から887年ごろに完成したと伝えられます。
お大師さまは、この大塔を法界体性塔とも呼ばれ、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので古来、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。
多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、
四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。

紀伊勝浦を訪ねて

南紀は、近いようで結構遠い、天王寺から特急「くろしお」で約3時間半那智勝浦に到着、勝浦温泉・紀の松島めぐり・那智の滝を散策した。

 紀伊勝浦駅前 

ホテル浦島 山上館泊
泉質・成分 含硫黄ナトリウム・カルシウム塩化物質
(弱アルカリ性低張性高温泉)
温泉形態 放流(かけ流し)
効能 慢性関節リウマチ、慢性筋肉リウマチ、
神経痛、など

でかいお風呂・天然洞窟のお風呂など温泉を堪能した。(平成24年6月)

浦島山上館は海抜80mの山の上に建つ 【山上館から見た日の出】
 

2日目

紀の松島めぐり

  

熊野交通定期観光バス利用
大門阪と那智山めぐり

昨年の大雨による被害の大きさに驚きました
1日も早い復旧をお祈りいたします。

 

 滝壺周辺の被害は想像を絶します 
   
   

新和歌浦を訪ねて

なにか近くて遠く感じられた 和歌山に 久し振りにたずねました。まず 友が島へ渡ろうと加太港へ、当日あいにくの雨模様 
港から友ヶ島汽船で、沖ノ島まで約20分 友が島の散策を楽しみに訪れたが、雨もだんだん激しくなり、
残念ながら第2砲台跡一箇所の見学しか出来ず引き返し、再び加太へ、紀三井寺にお参りすることとなった。(平成23年)
野奈浦桟橋 http://www.fujiya.tv/tomogasima.html
 第二砲台跡 
紀三井寺・楼門 室町時代1509年建立http://www.kimiidera.com/紀三井寺・本堂 江戸時代1759年建立

西国観音霊場第2番札所

救世観音宗総本山 紀三井寺

ふるさとを はるばるここに きみいでら 
     はなのみやこも ちかくなるらん

 

 紀三井寺・多宝塔 国指定重要文化財 
新和歌の浦に宿泊 翌日は少しお天気も回復、遠く和歌山マリーナシティが雲にかかった状態

朝 新和歌の浦海岸を散歩

その後

元和7年(1621)、紀州藩祖徳川頼宣によって創建された。徳川家康を神格化した「東照大権現」、紀州藩初代頼宣を神格化した「南龍大神」が祀られている、紀州東照宮へ

   
  紀州東照宮
和歌山城
二の丸庭園 

紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)

元和7年(1621)、頼宣が南海道の総鎮護として創建した社殿は、国重要文化財です。江戸初期の代表的な建築様式である権現造りとなっていて、「関西の日光」とも言われています。

和歌山城

豊臣秀吉は、天正13年(1585)に紀州を統一し、弟の秀長の領地としましたが、その時虎伏山に自ら基本設計し、本丸と二の丸を築かせたのが和歌山城の始まりです。翌年に秀長の城代・桑山重晴が3万石で在城。続いて関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入り、元和5年(1619)には徳川家康の第10子、頼宣が55万5千石で入城。城郭の大改修が行われ、西国第一の要衝としての体裁を整えました。以来約250年間、尾張、水戸と並ぶ徳川御三家として大いに栄えました。