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仲谷塾長の執筆集R |
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「大阪ホテル業界、いまそこにある危機!」 『週刊HOTERES』2003年8月8日号掲載 星野仙一監督率いる阪神タイガースが快進撃を続けている。大阪の夏を告げる天神祭りに、まだ1週間も早い7月中旬、大阪府知事の号令一過、道頓堀川の川ざらえがはじまった。近隣の大阪・南の浴場組合では、道頓堀川飛び込み後の公衆浴場ご利用お断りの張り紙を出した。タイガース前回優勝の1985年には、熱狂的トラキチの道ずれに、食い倒れ大阪名物の店頭人形まで道頓堀川にダイブする羽目となったが、今回は準備万端と言うわけだ。 7月27日には早くもマジック34が点灯、プロ野球史上最速の優勝にむけてひた走る阪神タイガース、18年ぶりの優勝をもはや疑う者はいない。"六甲おろし"たからかに、甲子園は燃え、タイガースファンも燃えているのだ。その優勝の確率は、混戦模様の小泉再選より高く、その時期もはるかに早いだろう。 阪神電鉄の株価は開幕時点の320円台から、7月に入り一時450円まで値をつけた。阪神百貨店のタイガースグッヅ売り場には、連日長蛇の列。阪神球団野崎社長は7月24日、今期の観客動員数を球団史上初めて300万人を超える見通し(過去最多は1992年の285万人)であると、この時期にしては異例の強気の発表(読売新聞7月25日)。そして久万オーナーは、(今季優勝後、来季にむけて)「選手の年俸高騰をどうしょうか。そればかり考えている」と、うれしい悲鳴をあげてみせた(日経新聞7月26日)。オーナーの本音か余裕かはともかく、まさにタイガース景気の到来だ! 日本総研によると、タイガース優勝による経済波及効果は1133億円とか(日経新聞6月12日)、数字の根拠はともかくとして、喜ばしいことだ。
正直なところタイガース以外に明るい材料のない大阪にとって唯一の光明に違いない。 しかし、バブル崩壊後、地元大手商社、銀行が相次いで大阪を去り、東京一極集中が進む中、地盤沈下が現実のものとして重くのしかかる。"はたしてタイガースは、大阪を救えるのか?"とさけびたくもなる。この6月、大阪ビジネス地区の空室率は11.1%となり、昨年比+0.46%上昇した。東京地区も8.57%で昨年比+1.21%と急上昇。 東京の場合、六本木ヒルズ、汐留など大規模再開発事業による供給の急激な増加が原因であるが、大阪は、正味の空家なのだ! 星野監督は渋い顔して燃えている、選手たちも燃えている、矢野、今岡はMVP目指して燃えている、片岡だって今年は燃えている、・・・・、御歳80歳久万オーナーは年俸を心配しながらも燃えている、阪神ファンも燃えている、阪神球団、阪神電鉄、阪神百貨店も・・・、でもホテル業界は? 燃える星野タイガースの影で、あいつぐホテルの廃業、民事再生法による申請。 大阪、そして関西のホテル業界は、はたして活気をとりもどすことができるのだろうか? 業界を取りまく現状と課題を追ってみた。
磯村大阪市政がかかげる"国際集客都市宣言"ぐらい、大阪の抱える問題点を端的に現しているものはない。 もともと大阪には、集客力は、あった。 北と南の都市集積、吉本、宝塚、OSKに代表される芸能文化、周辺の京都、奈良の歴史的資産や、神戸との地理的・文化的なつながりを背景に、全世界、全国から集客してきた大阪であるが、近年、地元企業の中枢機能の流出、新規事業の停滞が地域の集客パワーを奪いさったのだ。そこで登場したのが、集客都市宣言である。 動機づけと目的がなく、方法論である"集客"だけが一人歩きをはじめた。 その代表例は、2008年開催予定の夏季オリンピック誘致運動であった。 結果は、もろくも北京に敗れ去ったのだが、行政当局はともかく、関西の財界は本気で誘致できると考えていたのだろうか。本来、イベントは、国、都市、企業など、その主体の目指すところをプロトタイプとして世に問い、先駆けとするところに実施意義がある。 日本経済の高度成長期の真っ只中にあった大阪にとって、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博は、東海道新幹線、大阪国際空港(伊丹)、高速道路、周辺企業団地、ベッドタウン開発など都市インフラ整備を誘発し、都市のグランデザインとして"商都大阪"を全世界に情報発信する、一大国家的イベントであった。 しかし、大阪万博から30年、大阪には、2008年イベントに向けて、世界に訴えるべき都市のグランドデザインが、もはや存在していなかった。この時期、北京を訪れた人なら、何重にも輪を広げ日夜造成されていく幅100mを超える市内幹線道路、世界都市のシティセンターに相応しい商業集積と超高層ビル群、そして、セントレジス、グランドハイアットなど世界から集めたられた高級ホテルブランドなどなど・・・、WTO加盟を期に社会主義市場経済のさらなる拡大、発展を目指す中国千年の首都の急激な変貌ぶりに眼を見張ったことだろう。そこには、まさに40年前の大阪の姿があった。 2008年オリッピック誘致に際し、訴えるべきものをもつ北京に対し、訴えるものをもたない大阪が破れたのは当然の結果であろう。
"集客都市"大阪が、選んだ究極の集客装置がUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)である。 期待を一身にあつめたUSJは、2001年春に開業、初年度こそ1100万人を集めたが、翌年には800万人代の集客に低迷、以降、経営陣を一新して懸命に立てなおしを模索しているが、リピーター確保に苦戦をしいられている。 他の3セクプロジェクトと同様、行政と外資系企業によるの異種混成部隊もマーケティング力不足を露呈した格好だ。都市集客の専門家、大阪市立大学大学院の橋爪伸也助教授は、USJと大阪の今後のあり方について「テーマパークの集客を持続できるように、都市そのものの魅力を段階的に向上させていく計画が求められていくべきである」(日経新聞2002年6月30日)と指摘している。USJを、集客都市の中核機能とするのであれば、USJのある大阪という都市をどうデザインするかを、もう一度考え直すべきではなかろうか。
もう一つの集客装置として期待を集めたのが1994年9月開港の関西国際空港である。京阪神各地から平均1時間以上要する立地の悪さに加えて、国際空港として致命的であるのは、着陸料と駐機料の高さである。空港造成のコスト負担を、そのまま利用者に被せた結果であるが、ここでもマーケティング発想が機能していない。2001年3月に開港した仁川国際空港(韓国)の着陸料は、ジャンボ(B-747)1機あたり約35万円の超破格の値段となった。ちなみに香港のチェラプコック空港、上海のプトン空港が約50万円。単純に地価・建設コストから算出すると仁川空港の着陸料は、チェラプコック、プトンなみになるそうだが、韓国政府は、仁川空港を東アジアにおける航空ネットワークの拠点であるハブ空港とする狙いで税金を投入し、政策的に着陸料を安く設定した。一方、航空各社は、世界的航空不況のあおりをうけて、より効率的な運航を目指しはじめた。 関西空港の着陸料は87万円、成田の95万円についで世界の1、2位をあらそう高さだ。すぐ隣に強力なライバルが登場し、着陸料の高さの故、航空会社からパッシングされる関西空港は、東アジアのハブ空港としての競争力を急激に失いつつある。2003年3月期の関西国際空港の当期損失は167億円にのぼり、累積損失は2000億円を越えた。 1兆2000億円にも膨らんだ有利子負債が生み出だす支払利息は、1日あたり1億円近い。これでは民営企業としては、着陸料を下げようもないのはわかる。 しかし、りそなホルディングスへの2兆円にのぼる公的資金注入をうんぬんするつもりはないが、本来、国が血税を投入すべきは空港なのである。海外旅行のため出国する日本人1600万余に対して、入国する外国人旅行者は500万人にも満たない現状。国際空港は、一国を経営する上で極めて重要な国家的集客インフラであることを、再認識すべきであろう。 そして空港もまた、それ自体集客装置ではなく、都市を訪れる必然性を都市自身がもたないかぎり利用者を増やすことはできない。
2003年7月1日付新聞各紙が、大阪郊外の宝塚グランドホテル(兵庫県宝塚市)の廃業と同ホテルのグループである「時を奏でるホテル」(兵庫県出石市)の民事再生法申請、また京都プリンセスホテル(京都市)の民事再生法の申請を報じた。実は、この日の朝、ゼミの夏季研修のため宝塚の自宅を出ようとしていた筆者は、朝日放送TV(テレビ朝日系)の記者の電話で足止めされることになった。夕方のニュースで流すホテル破綻に関するコメントが欲しいというのだ。記者へ筆者を紹介したのは、本誌の村上実編集長で、なんと大阪発、東京経由で筆者のもとにテレビ取材がもどってきた。これも情報の東京一極集中のなせるわざだろうか。 研修場所である神戸港クルージングのコンチェルト号船上での取材、そして午後6時半に放映された今回の破綻劇に関連する筆者のコメントは「ここ20年で(大阪市内ホテルの)供給が1・5倍に増えたのに対し、需要は伸びていない。国際化が進んで、海外のいいホテルを体験した日本人が増えた。どれがおしゃれで豪華さを売りにしているのか利用客にもわかってきた。ファッション性に富んだ外資系ホテルが評価されている」であった。この1週間前6月24日には、ウェスティンホテル大阪(大阪市北区)が、民事再生法を申請しており、ひきつづくホテルの破綻劇に大阪のメディア各社も敏感になっていたのだ。ウェスティン大阪の破綻の際にも、当然のようにコメントを求められた。6月25日の毎日新聞には、「元ロイヤルホテル取締役の仲谷秀―・大阪学院大教授(ホテル経営学)は『USJ効果も期待通りではなく、宿泊客の増加は短期的に難しい。日本のホテルは40%程度と高い人件費が収益を圧迫している。管理部門の大幅削減や顧客二―ズをくみとるための構造改革が必要だ』と指摘している」。この毎日新聞の場合、夕刻、所用で京都にむかうJR車中で携帯に取材依頼があり、なんと京都駅コンコースの雑踏の中での50分にわたる電話取材であった。 続いて産経新聞経済部巽尚之記者のインタビュー記事(産経新聞6月29日)では、――ウェステイィホテル大阪の運営会社が民事再生法を申請したがとの質問を受けて「負債総額は315億円と聞くが、過剰投資で経営の効率化がはかれていなかったせいではなかろうか。しかし債務を圧縮すれば十分に再建できると思うと」と述べたものだが・・・・。翌30日、ウェスティン大阪の再建支援に大阪地場企業のキーエンス(東証1部、大阪市東淀川区)の関連会社が乗り出したと報道され、コメントの正当性がいみじくも証明された結果となった。
今年の2月には、ホテル破綻の前兆はあった。ベッカム選手をはじめとするW杯イングランドチームの宿舎であったことで知られるウェスティンホテル淡路を所有・経営する兵庫県の3セク夢舞台が、開業3年目にしてあわや債務超過に。ここは兵庫県企業庁がホテル資産を131億円で買収、3セクへのリースバック方式に切り替えることで一見ことなきを得たものの、その買収額はシーガイアの161億円とくらべても異例の高さとなった。税金は他人の金である自治体だからできたことだろう。夢舞台報道の翌日には、南海サウスタワーホテルの外資系ホテルへの営業譲渡が報じられた。この2件の報道時、筆者はハワイ大学への出張の途についた直後で、ハワイ到着後友人達のメールで事態を知ることになった。3週間後に帰国、関西空港到着時、携帯電話の留守録に当時の新聞社からの取材依頼があるのを発見し、驚いたものだった。その間、南海サウスの営業譲渡先は、当初のシェラトンから一転、ラッフルズ・インタナショナルに決まりスイソテル大阪南海のブランドで運営されることになっていた。関西空港への市内からのゲートウエイとして華々しく1990年3月に開業した南海サウスタワーホテルの営業が、1994年の関西空港開業を期に徐々に下降線をたどっていったのは、なんとも皮肉な話である。
今回のホテル破綻の要因は、低迷する経済情勢と、ホテル需要と供給のバランスにあるといえる。大阪市内では、この10年間で主要ホテルだけでも、2500室以上客室が増えた。明らかに20%程度の供給過剰である。しかし、この数字は、どのホテルにとっても同じあり、経済情勢には、どのホテルも等しく影響をうけているのである。このような状況にあっても、勝ち組みと負け組みにおのずから、分けられる。 それでは、負け組みであるホテルの破綻要因を探ってみよう。 最近のホテルの破綻要因は、 1 過剰投資のつけがある の3点に要約できる。 まず、1の過剰投資の問題は、バブル崩壊前後の新規ホテルに多く見られるが、老舗ホテルでは、急激な拡大路線によるチェーン出店が本社本店の屋台骨を揺るがす場合が多い。破綻に至らずとも証券化により資産を失い、現在も、有利子負債にあえぐホテルもある。 2の事業収益性について言えば、外資系ホテルと日系ホテルの決定的な違いはここにある。日系ホテルにおいては、原材料費のカットや人員カット・給料カットなどには熱心であるが、人事・給与システムの変革への取り組みが、かなり甘い。これでは、利用者にしわ寄せがあるだけで、人的コストを効果的に抑えられない。外資系ホテルでは常識である能力成果主義による人事システムを導入しないかぎりホテルの再生はない。 3は、ホテルのマネジメント能力をもった人材の有無である。ここで言うマネジメント能力とは、異業種からの天下り経営者の言う結果数字のトレースではなく、ホテルビジネスを熟知した事業運営力である。ホテルは、ファッション性が高く感性を必要とするビジネスでありながら長年、このことが忘れられてきた。外資系ホテルのファッション性が一般客にアピールする理由はここにある。今後求められる人材とは、日本のホテル(日系ホテル・外資系とわず)で修行し外資系ホテルでキャリアアップした日本人、あるいは日本のマーケットを熟知した外国人であろう。
前記3点の破綻要因の内、2点以上をクリアしているとホテルの再建は可能だ。 例えば、ウェスティンホテル大阪の場合、1を除いて、国内外のホテル経営に精通した安富社長率いるこのホテルは2、3の問題をクリアしていた。支援者がすぐに名乗りをあげ、その支援者の会社がこのホテルと目の鼻の先にあったのも、偶然ではないのだ。次に南海サウスタワーホテルの場合であるが、1は親会社が飲み込み、2、3の問題点は、ラッフルズ・インタナショナルに賃貸契約で営業譲渡することによりクリアする目論見だ。南海としては、超高級ブランド、ラッフルズのブランドで営業したかったのであろうが、現在の立地、施設のクオリティからすると知名度の低いスイスホテルブランドが妥当であろう。しかし、新生スイソテル大阪南海は、大きな強みをもつ。総支配人に、フランソワ・ノッカート氏の就任が決まったからだ。ノッカート氏は、ザ・リッツ・カールトン大阪開業時に、料飲担当の副総支配人をつとめ、レストラン部門やブライダル部門の立ち上げに実績をもつ。リッツカールトンといえども侮れない強敵の出現だ。 北と南に強力な外資系ホテル対決に、既存の超高級ホテルは、より苦戦を強いられることが必至である。例えばホテル阪急インターナショナルの場合、第一阪急ホテルズの中では異質の、超高級のポジショニングにある唯一のホテルとなった。筆者の、まさに勝手な見解なのだが、このホテルがもしもパークハイアット大阪阪急か、フォーシーズンズホテル大阪阪急にリブランドしたら、どうであろうか。大阪のホテル地図は大きく変わるかもしれない。 10年以上前に立てられた大阪の全てのホテルには、1の課題をクリアしても、2、3の課題が立ちはだかっている。これを乗り越えない限り大阪のホテルの再生はない。 実は、ここに、一つの大きなヒントがある。 星野タイガースである。2002年10月14日、甲子園球場での最終戦で星野監督は、満場のファンにこう誓った「この悔し涙を来年は、うれし涙に変えて見せます!」と。シーズンオフには、チームの3分の1にあたる24人の選手を入れ替え、内18人は自由契約となって縦じまを脱いだ。ベテラン、レギュラーとわず競争原理のもとに各選手は危機感をもってグランドに向かっている。 今、ホテルに欠けているのは、ホテルマンの間の競争意識、経営者の危機感ではなかろうか。
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