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仲谷塾長のエッセイ・論文集O

 

【ホテルレストラン業界 キャリアアップ・ガイドVol.2】

『ホテリエという人生を、どう生きる!!』
〜仲谷流キャリアアップの極意〜

大阪学院大学教授 仲谷秀一


 ホテリエという言葉が、日本のホテル業界で次第にアイデンティティを持ち始めた。ホテル従事者の一般的な呼び方として、若手を中心に使われている "ホテリエ"、響きもいい、ホテルマン、ホテルウーマンもいいが、これは完全に和製英語。新英和中辞典によると、「hotelier=ホテル経営者」とあり、元来フランス語からの外来英語であることがわかる。ホテリエとは、ホテル・マネジメント(ホテル経営・運営の責任者)のことなのだ。それでは、ホテルで働く若者たちを、ホテリエとは呼べないのか? もとよりホテルは、国際ビジネスである。ホテリエが本来の意味を持つ以上、和製英語的な使用では、世界に通用しない。 しかし、それならやめようでは、いかにも杓子定規で、夢がない。 
そこで、次のように提案したいと思う。日本の若き"ホテリエ"とは、将来自らのホテルを思う存分動かし訪れる人々に"夢と感動"、"安らぎと癒し"を与えるために、一歩一歩キャリアアップの歩みを続ける"ホテル・マネジメント"の卵と定義する。 そして"ホテリエ"、その素敵な言葉と輝かしい目標を、堂々と世に広めようではないか。フランスのホテル大学校では、学生達に、"Marchand de Boneur"(マルシャン・ドゥ・ボヌ―ル=幸福売り商人)を目指せと教える。人々を幸せにすればするほど、商売は繁盛する。ホテリエとは、そんな、素敵な職業でもあるのだ。 それでは、未来のホテリエを目指して、どのようにキャリアをつくりあげていけばいいのだろうか。


エンターティナーへの道
〜「接客が好き」だけでは、エンターティナーにはなれない〜

 
  ホテリエへの、第一歩は、よき"エンターティナー(接客者)"になることである。「ビジネスだ!」、「経営だ!」と言う前に、人に対するやさしさ、気遣い、心遣いで、顧客の気配を読み取り、楽しませようとするホスピタリティ・マインドが重要なのだ。 一方、ホテルを目指す若者達には、「接客が好きだ」、「人と話すのが好きだ」と言う人が多い。これは極めて大切なホテリエの素質ではある。しかし「"接客だけ"が好きだ」、相手かまわず「人と話すのが好きだ」では困る。 「接客が好き」だけではキャリアアップはおぼつかないし「人と話すのが好き」では単なる"おしゃべり"人間で、相手のニーズに応えることができないからだ。 ともあれ、相手を心地よくさせる笑顔と、ホスピタリティあふれる行動が無い人は、ホテリエの資格はない。 自らエンターティナーとして適性があるかどうか、やってみないとわからないものだ。学生時代の友人は、私がホテルマンになると知って大いに驚いた。その友人たちは、後年私が大学教員となることを知って、またまた驚くことになる。学生時代までの私は、それほど、無口で引っ込み思案な男と思われていたからだ。 実は、他人がそう思ってたいただけで、私自身は生まれてこのかた、まったく変わっていない。自分自身、面倒だから他人が思うにまかせていた節があるのだが。 その作られたイメージのベールがはがれたのは、昭和42年の夏、新大阪ホテル(現ロイヤルホテル)の入社試験を受けた時だった。 受験した学生の多くがホテルにとりわけ興味があるわけではなく、上場会社であることに惹かれていた。そんな中で、当時としては珍しく進路をホテルに絞り込んでいた私は、自然発生的にリーダーとして人事担当との窓口となった。 周りの見る目は一変。愛想がよく他人への面倒見のよい男にイメージを一新した私は、翌春の入社式では、同年入社200余人の新入社員総代をつとめることになったのである。 この時が、小学校時代から委員や長とつくものに無縁であった私のターニングポイントだったのかもしれない。 入社後、フロントに配属された私は、生来の笑顔を武器に、ウオークイン客(予約なしのフリー客)から、怒らさずにデポジット(前受け金)を受け取る達人となった。 新しい環境に入った時その時こそ、自身のイメージを変える最大のチャンスなのである。


プロデューサーへの道
 〜プロデュサーは、人知れず成功の祝杯をあげる〜

 フロントのような、ルーティンの仕事で自分を磨くのは3年が限度。キャリアアップをはかるには他ホテルへの転職か、社内転職、即ち人事異動を自己アピールする必要がある。どんな職種を選ぶかは本人次第だが、エンターティナーを体得したその次はプロデユーサー的な仕事を選ぶことだ。営業企画、PR、クオリティ、それに人事、会計、情報システムなどバックオフィスでも、やりようによっては、このスキルは身に付く。 現場経験を通して、お客を直接満足させることを十分体感できた後は、その仕掛け、即ちシステムつくりが目標となる。 自分で何でもやりたがるホテルマンが多いが、それでは自分の1の力は1であり、どんなに頑張っても2倍にはならない。しかしプロデューサーとしてシステムをつくれば、1人で、数倍、数十倍、数百倍の力を結集できる可能性が生まれる。 3年どころか倍の6年かかりはしたが、異動希望がかない、私は入社7年目にして、フロントから支配人室企画宣伝課に異動した。 キィ・ブックレット(客室番号カード)しか、書いたことがない私に、上司もガックリ、異動にともなう歓送迎会で、「この課も衰退の一途だ」と課長に真面目な顔で言われてしまった。ともかく企画書を作るのも、収支を立てるのも他人の倍、時間をかけて乗り切った。仕事が遅い分は、時間をかければなんとかなるものだ。 1ヶ月ほどして上司に、「仲谷君、君は協力業者の評判がいいようだね、君はいつもニコニコしているって」と、初めて誉められた。人、もの、金など相手に負担を強いる企画への協力を取り付けるには、相手の懐に飛び込んで信頼をえることにつきる。 企画宣伝マンとしての最初の成果は、なんとフロント時代に培った出会いの30秒で相手のニーズを読み取り、すばやく対応するエンターティナーとしての笑顔から生まれた。  新しい企画を現場に持ち込むとき、抵抗が多いのは世の常である。 そこで挫けず、足しげく現場に通い企画の元ネタだけを繰り返す。 やがて現場から、「こんなアイデアがあるんだけど」と話がでるとシメタもの、すかさず「いいですね、そのアイデア!」。やがて企画が実行に移され成功すると「すごいですね、やはり現場の力は大きいですね!」と素直に喜んでみせる。お客は満足し、現場の士気はたかまる。 その時プロデューサーたちは、自分たちのオフィスに集まり、静かに缶ビールで祝杯をあげる。 プロデューサーの仕事の醍醐味は、自分で直接タッチせず、自ら接客して得るよりはるかに大きいお客の満足を勝ち取ることだ。 しかし、成果はすべて現場のものであると思えないようでは、プロデューサーとしての資格はない。  


マネジャーへの道
〜マネジャーは、人を育て利益を生み出す〜

 裏方として、大きな仕事を仕掛けるプロデユーサーも確かに面白い、しかしホテルの仕事の妙味は、やはり現場を預かる第一線の"マネジャー"だろう。 現場で多くのゲストを喜ばすには、自分以外にも多くのエンターティナーを養成する必要がある。 マネジャーとは、舞台監督のようなもの、お客のよろこぶスターを育てる"トレーナー"なのだ。  加えて、組織を維持するための利益を確保できる、よき"ビジネスマン"であらねばならない。よく「ホテルの人は数字に弱いと」と嘆く異業種出身の経営者がいる。しかし、数字を勘定する前に、数字をつくることの方が重要だ。 お客を喜ばせ、店を繁盛させる、そして売上をあげながら、出来る限りコストを切り詰める。売上とコストの差額が利益で、足し算、引き算ができればマネジャーは基本的につとまる。 ようするに、コスト意識を徹底し、Value for money をどこまで追求できるかがポイントだ。 支配人室勤務4年目、32歳で最年少で課長代理をつとめていた私は、異動の辞令に驚いた。 なんとメインダイニングのマネジャー代理への異動なのだが、マネジャーは職場に常駐しない上司が兼務で、実質メンダイを切り盛りせよとの社内強制転職だった。 ウエイター経験のない私が、この難関を乗り切るには、今までの経験を資源として活用するしかない。 まず、取り組んだのはお客の顔と名前を覚えること。フロントで、お客にしてあげられるホスピタリティは、自らの笑顔と名前を覚えてあげることぐらいしかないのだが、若いころのこの経験が活きた。 一年がかりで、1000組、家族も含むと約4000人の顧客の顔と名前を覚えた。 自慢の笑顔でもてなし、お出迎え、お見送りに徹した。 レストランにはスターが必要だ。 私のパートナーとなった天才肌のシェフとその料理を見込んでこう言った、「僕は、このレストランのマネジャーだけど、貴方のマネジャーをやらせてもらう」と。 そして、顧客に徹底して売り込んだ。プロデューサーとしてのPR、顧客管理のスキルがここでも活きた。 やがて、このシェフは、自他ともにその実力を認めるところとなり、ロイヤルホテルの常務にまでのぼりつめることになる。 ことわっておくが、これは20年以上も前の話、料理とシェフでお客を呼べる時代は終わった。 今や、お客が主役の時代、求められるのは、料理だけでなく、サービスでもなく、お客自身の快適な時間なのだ。 


総支配人への道
〜総支配人の人格と感性が、ホテルの性格を決める〜

 総支配人には4つの役割がある。お客を魅了する"エンターティナー"、部下にとってよき"リーダーでありトレーナー"、オーナーにとって最も信頼のおける"経営の代行者、地域社会に貢献する"外交官"、という4つの顔である。 実は、総支配人には、もう一つ大きな役割がある。 それは、ソフトとハードを彩る"アート・デイレクター"としての顔だ。  お客が素敵と感じる空間演出、温かみを感じるフレンドリーなサービスは、総支配人の人間性と感性で決まる。ホテルの性格は、総支配人の性格そのものであると言っても過言ではない。 ホテルなどホスピタリティ産業は、観光・旅行産業ではなく、本来、ファッション産業に近いのかもしれない。ファッション産業が身に付けるおしゃれを消費者に提供するなら、ホスピタリティ産業は、そのステージを提供しているからである。 幸いにして40歳半ばにして、私はホテル業界に入った時からの目標である総支配人となった。つぎに、50歳を越えたところで、社命ではあったが他社に乞われて一つのホテルをオープンさせるために転職。このホテルの建設・開業準備から関与し、開業後は総支配人を1年間つとめた。 そして、55歳前に、自分自身の意思で大学教授となった。そして、今は、フリーのホテリエとして教壇に立ち、教職に身をおきながら、未来の総支配人、ホテリエ育成のため、トレーナーをつとめている。 私の"ホテリエとして人生"は、教員となった今も続いているのだ。


ホテリエへの道、キャリアアップを目指して

 何段階かのホテリエへの道、どこにゴールをもとめるか、人それぞれである。しかし、ハードルを高く、夢を大きくもつことが、キャリアアップにつながる最善の道であることを覚えておいて欲しい。 小さな目標は、もっと小さな現実で終わるからだ。 キャリアアップをいかにして切り開くか、いくつかのポイントをあげてみよう。

@ ホテリエという自営業者となれ  
 ホテリエと言う名のサラリーマンではなく、自営業者のごとく自らを磨け。会社、上司、同僚、お客、取引先のすべてがお得意様なのだ。 お得意様によりかかるのではなく頼りにされる存在となることがキャリアアップへの近道である。

A すべての経験をキャリアに活かせ  
 無駄になる経験はない。経験を強みとして自ら認識し、アピールを怠るな。そこから道は開ける。

B 新卒よ定期採用の狭き門でなく広き門からキャリアアップを目指せ
 数度の面接、学力テストで、ホテリエとしての資質の有無を判定できるはずがない。アルバイト、契約社員からチャレンジし、キャリアアップをはかれ。 定期採用のみのホテルや、正社員登用制度のないホテルは、相手にするな。それらは人事が硬直化し、将来見込みのない会社なのだから。 

C 既存の価値観にしがみつくな
 従来の知識、技術ではマーケットに通用しない。
 伝統と格式だけでは、もはやお客は呼べないのだ。感性を磨き、時代をリードするライフスタイルの中から新しい価値観をつかめ。

 外資系ホテルが優位に立っているかのように見えるホテル業界。 しかし、外資系ホテルですら、早くも曲がり角にさしかかっている。 大都市での外資系同士の競争激化、ローカルマーケットへの適応など、課題が山積しているからだ。 好調な東京、大阪の外資系ホテルではあるが、よく見ると、そこには優秀な日本人幹部の姿がある。 殆どが、転職によるキャリアアップ組だ。 外資系ホテルといえども、どれほど優秀な日本人スタッフを集められるか、育成できるかが、成功の鍵なのである。 外資系、日系問わず、ホテル業界も否応なく実力・成果主義の時代に入った。年功序列、終身雇用を堅持してきた日系ホテル企業も人事システムの大幅な改革を迫られている。 キャリアアップをはかろうとする若きホテリエには千載一隅の好機が到来したのだ。 

(2002/08/06)