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仲谷塾長のエッセイ・論文集O |
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【ホテルレストラン業界 キャリアアップ・ガイドVol.2】 『ホテリエという人生を、どう生きる!!』 大阪学院大学教授 仲谷秀一
フロントのような、ルーティンの仕事で自分を磨くのは3年が限度。キャリアアップをはかるには他ホテルへの転職か、社内転職、即ち人事異動を自己アピールする必要がある。どんな職種を選ぶかは本人次第だが、エンターティナーを体得したその次はプロデユーサー的な仕事を選ぶことだ。営業企画、PR、クオリティ、それに人事、会計、情報システムなどバックオフィスでも、やりようによっては、このスキルは身に付く。 現場経験を通して、お客を直接満足させることを十分体感できた後は、その仕掛け、即ちシステムつくりが目標となる。 自分で何でもやりたがるホテルマンが多いが、それでは自分の1の力は1であり、どんなに頑張っても2倍にはならない。しかしプロデューサーとしてシステムをつくれば、1人で、数倍、数十倍、数百倍の力を結集できる可能性が生まれる。 3年どころか倍の6年かかりはしたが、異動希望がかない、私は入社7年目にして、フロントから支配人室企画宣伝課に異動した。 キィ・ブックレット(客室番号カード)しか、書いたことがない私に、上司もガックリ、異動にともなう歓送迎会で、「この課も衰退の一途だ」と課長に真面目な顔で言われてしまった。ともかく企画書を作るのも、収支を立てるのも他人の倍、時間をかけて乗り切った。仕事が遅い分は、時間をかければなんとかなるものだ。 1ヶ月ほどして上司に、「仲谷君、君は協力業者の評判がいいようだね、君はいつもニコニコしているって」と、初めて誉められた。人、もの、金など相手に負担を強いる企画への協力を取り付けるには、相手の懐に飛び込んで信頼をえることにつきる。 企画宣伝マンとしての最初の成果は、なんとフロント時代に培った出会いの30秒で相手のニーズを読み取り、すばやく対応するエンターティナーとしての笑顔から生まれた。 新しい企画を現場に持ち込むとき、抵抗が多いのは世の常である。 そこで挫けず、足しげく現場に通い企画の元ネタだけを繰り返す。 やがて現場から、「こんなアイデアがあるんだけど」と話がでるとシメタもの、すかさず「いいですね、そのアイデア!」。やがて企画が実行に移され成功すると「すごいですね、やはり現場の力は大きいですね!」と素直に喜んでみせる。お客は満足し、現場の士気はたかまる。 その時プロデューサーたちは、自分たちのオフィスに集まり、静かに缶ビールで祝杯をあげる。 プロデューサーの仕事の醍醐味は、自分で直接タッチせず、自ら接客して得るよりはるかに大きいお客の満足を勝ち取ることだ。 しかし、成果はすべて現場のものであると思えないようでは、プロデューサーとしての資格はない。 裏方として、大きな仕事を仕掛けるプロデユーサーも確かに面白い、しかしホテルの仕事の妙味は、やはり現場を預かる第一線の"マネジャー"だろう。 現場で多くのゲストを喜ばすには、自分以外にも多くのエンターティナーを養成する必要がある。 マネジャーとは、舞台監督のようなもの、お客のよろこぶスターを育てる"トレーナー"なのだ。 加えて、組織を維持するための利益を確保できる、よき"ビジネスマン"であらねばならない。よく「ホテルの人は数字に弱いと」と嘆く異業種出身の経営者がいる。しかし、数字を勘定する前に、数字をつくることの方が重要だ。 お客を喜ばせ、店を繁盛させる、そして売上をあげながら、出来る限りコストを切り詰める。売上とコストの差額が利益で、足し算、引き算ができればマネジャーは基本的につとまる。 ようするに、コスト意識を徹底し、Value for money をどこまで追求できるかがポイントだ。 支配人室勤務4年目、32歳で最年少で課長代理をつとめていた私は、異動の辞令に驚いた。 なんとメインダイニングのマネジャー代理への異動なのだが、マネジャーは職場に常駐しない上司が兼務で、実質メンダイを切り盛りせよとの社内強制転職だった。 ウエイター経験のない私が、この難関を乗り切るには、今までの経験を資源として活用するしかない。 まず、取り組んだのはお客の顔と名前を覚えること。フロントで、お客にしてあげられるホスピタリティは、自らの笑顔と名前を覚えてあげることぐらいしかないのだが、若いころのこの経験が活きた。 一年がかりで、1000組、家族も含むと約4000人の顧客の顔と名前を覚えた。 自慢の笑顔でもてなし、お出迎え、お見送りに徹した。 レストランにはスターが必要だ。 私のパートナーとなった天才肌のシェフとその料理を見込んでこう言った、「僕は、このレストランのマネジャーだけど、貴方のマネジャーをやらせてもらう」と。 そして、顧客に徹底して売り込んだ。プロデューサーとしてのPR、顧客管理のスキルがここでも活きた。 やがて、このシェフは、自他ともにその実力を認めるところとなり、ロイヤルホテルの常務にまでのぼりつめることになる。 ことわっておくが、これは20年以上も前の話、料理とシェフでお客を呼べる時代は終わった。 今や、お客が主役の時代、求められるのは、料理だけでなく、サービスでもなく、お客自身の快適な時間なのだ。
総支配人には4つの役割がある。お客を魅了する"エンターティナー"、部下にとってよき"リーダーでありトレーナー"、オーナーにとって最も信頼のおける"経営の代行者、地域社会に貢献する"外交官"、という4つの顔である。 実は、総支配人には、もう一つ大きな役割がある。 それは、ソフトとハードを彩る"アート・デイレクター"としての顔だ。 お客が素敵と感じる空間演出、温かみを感じるフレンドリーなサービスは、総支配人の人間性と感性で決まる。ホテルの性格は、総支配人の性格そのものであると言っても過言ではない。 ホテルなどホスピタリティ産業は、観光・旅行産業ではなく、本来、ファッション産業に近いのかもしれない。ファッション産業が身に付けるおしゃれを消費者に提供するなら、ホスピタリティ産業は、そのステージを提供しているからである。 幸いにして40歳半ばにして、私はホテル業界に入った時からの目標である総支配人となった。つぎに、50歳を越えたところで、社命ではあったが他社に乞われて一つのホテルをオープンさせるために転職。このホテルの建設・開業準備から関与し、開業後は総支配人を1年間つとめた。 そして、55歳前に、自分自身の意思で大学教授となった。そして、今は、フリーのホテリエとして教壇に立ち、教職に身をおきながら、未来の総支配人、ホテリエ育成のため、トレーナーをつとめている。 私の"ホテリエとして人生"は、教員となった今も続いているのだ。
何段階かのホテリエへの道、どこにゴールをもとめるか、人それぞれである。しかし、ハードルを高く、夢を大きくもつことが、キャリアアップにつながる最善の道であることを覚えておいて欲しい。 小さな目標は、もっと小さな現実で終わるからだ。 キャリアアップをいかにして切り開くか、いくつかのポイントをあげてみよう。 @ ホテリエという自営業者となれ 外資系ホテルが優位に立っているかのように見えるホテル業界。 しかし、外資系ホテルですら、早くも曲がり角にさしかかっている。 大都市での外資系同士の競争激化、ローカルマーケットへの適応など、課題が山積しているからだ。 好調な東京、大阪の外資系ホテルではあるが、よく見ると、そこには優秀な日本人幹部の姿がある。 殆どが、転職によるキャリアアップ組だ。 外資系ホテルといえども、どれほど優秀な日本人スタッフを集められるか、育成できるかが、成功の鍵なのである。 外資系、日系問わず、ホテル業界も否応なく実力・成果主義の時代に入った。年功序列、終身雇用を堅持してきた日系ホテル企業も人事システムの大幅な改革を迫られている。 キャリアアップをはかろうとする若きホテリエには千載一隅の好機が到来したのだ。 (2002/08/06)
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